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カテゴリ:[ 子供/学校/教育 ]


78件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[78] 【大発表会】報告その4

投稿者: 加藤 投稿日:2018年 2月28日(水)14時20分43秒 ai126172011082.49.access-internet.ne.jp  通報   返信・引用

雨水を過ぎて早10日が経とうとしており、寒さが和らいで感じられるようになってきました。皆様いかがお過ごしでしょうか。
先日のゼミ大発表会について報告させていただきます。個人発表の芸術史・絵画・城・音楽、チーム発表の祭りチームと警察チーム、そして企画ゼミを2つのテーマで行いました。この報告では個人発表の音楽と企画ゼミのうちの1つを書き込みます。

まず個人発表の音楽です。今回は引き続きモーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』を取り上げ、前回主張した「時代を先取りしている要素」について音楽的な観点から、『ドン・ジョヴァンニ』の音楽のどのような点がその要素と言えるか考察しました。
『ドン・ジョヴァンニ』はモーツァルトが作曲し、1787年にプラハで初演され、翌年にウィーンでも公演が行われたオペラ作品です。
今回着目したのは、この作品中でも最大の見せ場である「ドン・ジョヴァンニの地獄落ち」のシーンです。その場面で歌われる“ドン・ジョヴァンニ、お前が食事に招いてくれたので、参上したぞ”の楽譜を分析しました。
まず、楽器編成という視点からトロンボーンに注目しました。トロンボーンの音域は成人男性の声域に近く、スライドによって音程をスムーズに調整できる事から得られるハーモニーの美しさなどから「神の楽器」といわれて教会音楽に重用された。古くからミサにおける聖歌の合唱等の伴奏楽器に使われ、オラトリオ(ハイドンの天地創造などが有名)やレクイエム等にも多用されていますが、世俗的な音楽においては使用を自重する風潮がありました。
交響曲で最初にトロンボーンを使ったのはベートーヴェンで、交響曲第5番の第4楽章で用いました。これは当時「世俗」的と考えられていたオーケストラに、教会で使われていた「神聖」な楽器を使ったという点で画期的なことでした。大編成のオーケストラに定席を得たのはロマン派の時代です。
モーツァルトの「レクイエム」でもトロンボーンが最後の審判を告げる楽器として印象的なソロを与えられているのも有名です。また『ドン・ジョヴァンニ』でも地獄落ちのシーンで、地獄から聞こえてくる悪霊の声が合唱とトロンボーンで演奏されています。
次に、このオペラが初演された当時聴衆に「怖い」という印象を与えた音楽の構造を楽曲中の登場人物に沿って分析しました。
以上をふまえ、「『ドン・ジョヴァンニ』の音楽では楽器編成に工夫をしたり、さまざまな技巧を駆使したりして劇的な効果を生み出している。したがって個々の登場人物の感情がより鮮明に表現されているのであり、これが時代を先取りする要素である」と主張しました。フロア側からは時代を先取りしているのではなく、モーツァルト以前の作曲家もしていた技法をうまく取り入れて作曲しただけで時代を先取りしている要素があるとは言い難いのではないかなどの反論が出ました。2年生を含めた人数で評決を取り、発表者の勝利に終わりました。

次に企画ゼミです。今回は以前も取り上げた『アマデウス』について「制作側が効果的に見せようとしていると ころはどこか」というテーマでゼミ候補生をまじえディベートを行いました。2年生の中にはサリエリという作曲家が音楽史上においてどのような位置にあったのかわからなかったという人もいたので、その点については少なくとも事前に簡単な説明を加えておくべきだったと反省しています。
『ドン・ジョヴァンニ』の上演シーンが印象に残ったという意見は多くの人が挙げていました。また、冒頭の交響曲第25番をBGMにサリエリが自殺を図ったシーンが衝撃的だったという意見や、モーツァルトの音楽をサリエリだけが理解しているというその孤独さを制作者側は効果的に見せようとしているのではないかとの意見も出ました。

報告は以上です。

2年間、安達ゼミで言葉の使い方や解釈の仕方、主張の立て方などに四苦八苦した経験が今後役立つかどうかははっきりとはわかりませんが、この2年間のことは忘れないと思いました。
安達先生、ゼミ生の皆さん、そしてOBOGの皆さんに深く感謝の意をここに表明し結びとさせていただきます。ありがとうございました。

加藤




[77] 【大発表会】報告その3

投稿者: 古矢 投稿日:2018年 2月18日(日)02時01分20秒 31.157.244.234  通報   返信・引用

OBOGの皆さまこんばんは。
引き続き、大発会の報告をさせていただきます。

個人テーマの芸術史では、アルトドルファーが手掛けたセバスティアヌス祭壇画について取り上げ、その中の≪聖セバスティアヌスの殉教≫と≪聖セバスティアヌスの屍体の救出≫に焦点を当てて考察しました。
「水の流れが≪聖セバスティアヌスの殉教≫と≪聖セバスティアヌスの屍体の救出≫の空間的、時間的な流れとして二枚の絵を繋げている」と主張しました。

「水の流れではなく、橋が二枚の絵を繋げているのではないか」「川は遠近法を効果的に用いるために使われ、色彩で時間の流れを表現しているのではないか。もし水に意味を持たせるならもっと存在を主張しているはず。」「アルトドルファーは建築物や風景に力を入れている画家なので、建物の密集感や空の開放感が対比を表しているのではないか」という反論をいただきました。
安達先生からは「冥土の川」という死者と川が関連している話は当時からあったというお話をしていただきました。

評決の結果発表者側の勝利となりました。

二年間アルブレヒト・アルトドルファーについて取り扱ってきましたが、アルトドルファーに出会えてよかったと思っています。今後彼がより注目される日を願っています。

警察チームでは、一番最初に取り上げたテロ対策を最後にもう一度取り扱うことにしました。テロ対策の中でも強化されているインターネットについてのテロ対策についてまとめ比較し、日本の人権侵害について考察しました。
「国際的な枠組みで弁護士や専門家から構成される第3者機関を設け、警察による法の濫用が引き起こすと想定される人権侵害に歯止めをかけられるようにするべきである」と主張しました。

「警察組織を監視している監察部門や公安委員会がありますが、そこを強化するという手段はどうか。」「第三者機関によって人権侵害が守られるとは思えない。」という反論をいただきました。
安達先生からは、こちらの表現が足りていなかった部分を補足して議論をしやすい環境を作っていただきました。

評決の結果フロア側の勝利となりました。

今回は反論や質問に対して具体的な例を提示できたり、きちんと反論ができたので個人的には大変満足しています。ストレートで負けることが多かったのですが、今回はギリギリ負けたので、説得力が少しはある議論ができたのかなと思っています。

報告は以上です。

安達ゼミでは、精神的に厳しくても一定の間隔で原稿を仕上げることや議論で自分の意見を言う力など貴重な経験を積むことができたと思っています。
また、個人的な話になってしまいますが、卒業旅行でローテンブルクの城壁を回ったり、ザルツブルクでモーツァルトの生家を訪れたり、ウィーン工房デザインのイラストでラッピングされているチョコを買ったりとゼミ生のテーマと関連のある場所に旅行ができて嬉しかったです。個人的にはウィーンの美術史博物館に行きたかったのですが、今回は時間がなく残念でした。また行く機会を作れると嬉しいです。

私がこのBBSを開設してから2年が経ちました。今までこのBBSを見てくださった皆様に感謝いたします。



[76] 【大発表会】報告その2

投稿者: 高田 投稿日:2018年 2月17日(土)01時05分14秒 203-165-65-180.rev.home.ne.jp  通報   返信・引用

OB・OGのみなさま、こんにちは。
第二回目の大発表会の報告をさせていただきます。


 個人テーマの「城」では、日本でいうと五稜郭のような稜堡式城郭を取り上げました。
そして「稜堡式城郭の城壁はなぜ低いのかと考えた際に”攻城側からの大砲の的になりやすいから”と考えられやすいが、それ以上に大砲の攻撃を受けた際の二次災害を抑えるためといった理由もあるのではないか」と主張し、ディベートを行いました。

フロア側からは、
・まず当たりにくく、壁の強度を高めるため
・攻めてくる側に見えずらく狙いを定めにくくするため
・撃など射程の角度があまりつかないことや援護射撃などがしやすいから
・大砲や鉄砲を用いて戦争をする際に砲台の移動・設置や砲弾の補給などに城壁が低いほうがやりやすいから
といっった意見や、壁を作るお金や手間の面もあるのではないかというお話がありました。
結果、フロア側の勝利となりました。
フロア側のみなさんも資料や情報を用意してくださったことにより、発表者側もいろいろな考え方に触れられて勉強になりました。

チーム発表「祭り」ではドイツの中世祭りや日本の歴史祭り(武者行列や演武など)といった歴史にちなんだ祭りを取り上げました。
「歴史にまつわる祭りは、その国の歴史や過去をどこか理想化しているように感じられる。」という主張に対しフロア側からは
・ドイツにとっての中世、日本にとっての戦国時代は騎士がかっこいい、武将がかっこいいなどの感情がメインになるため、理想化というより楽しめる部分を中心に行っているのでは
・歴史にまつわる祭りは、人に魅せるというニュアンスが今は強いのではないかと考えます。したがって、理想化というよりもその武将や騎士が色々な人に知られるように、その地域で何があったのか理解してもらうため、パフォーマンス要素を強くしているのではないか。
・コンセプトはみんなで楽しめるものだから、理想化は条件ではない
といった反論があり、フロア側の勝利でした。

報告は以上となります。



3年生の4月、何もかのが初めての自分たちだけでスタートでしたが
私たちが2年生の時に4年生だった先輩方、
同窓会でお会いした方々や、土曜1限の授業に足を運んでくださった方々、
お忙しい中このBBSを覗いてくださった皆さま
素敵な先輩方に助けていただき、なんとか最後の大発表会を
終えることができました。心よりお礼申し上げます。

高田



[75] 【大発表会】報告その1

投稿者: 小川 投稿日:2018年 2月14日(水)01時10分54秒 KD027092206237.ppp-bb.dion.ne.jp  通報   返信・引用   編集済

皆様いかがお過ごしでしょうか。インフルエンザが流行っている時期となりましたので体調に気を付けてお過ごしください。
2月6日の大発表会の報告をいたします。
個人テーマ絵画は、ルーベンスの≪レウキッポスの娘たちの掠奪≫の構図について考察しました。主張と致しましては、「開放的形態の視点で描かれた≪レウキッポスの娘たちの掠奪≫の複雑な対角線構図は卍の元々の意味である運命論的要素を神話になぞらえている様にも思える。この作品は、掠奪感を煽る為に自然の流れである右回転の流れを作る意図で卍の構図を。そして左回転の逆卍型により死(此処では掠奪されてしまう事)を表しながら錯綜感の増幅効果を入れ込む意図で、二つの卍の組み合わさった構図にしたのではないか。」というもので議論をしました。
卍型よりも、連れて行かれる女性二人の身体の中心を通る直線が平行になっているとした方が自然という意見が出たが、其れに対しての意見は、白肌が彩色的に膨張色として浮き出てそう見えるという事と、平行線では直線的な方向を表し複雑な動きが表せない構図且つバロックではなくルネサンス的構図であるというものでした。他にも卍型ではなく中心から外方向へと折り曲がりが展開されているのではないか。という意見や、全体的に大きく卍型のみ。逆卍型の意味合いについての記号的表現への意見も多く、逆卍型構図の効果についての議論も活発になされました。
此方は発表者側の勝利として終わりました。

企画『帰ってきたヒトラー』については、もしもヒトラー的な存在が現代に現れたとしたらどうなるか、という論点に加えて、見所ポイントについても話しました。
トランプ政権の台頭などの過激派の風潮が世界に広がりつつある傾向の今、その様な存在が現れたら同じように扇動されてしまいそうであるという意見や、誰しもヒトラー的思考は持っている(誰しもヒトラー的存在になる可能性がある)という意見、アドリブの街頭インタビューのシーンで、歴史的無言の圧力の元にある民主主義の中、政治への本音を言えない現代のドイツ国民の心中を思いを引き出していく所が見所などの意見を交わしました。


次期ゼミ生たちとも沢山交流出来、達成感にも満ちた充実した発表会となりました。
此れで大発表会の報告その1を終わります。



[74] 第15回ゼミ報告

投稿者: 古矢 投稿日:2018年 1月27日(土)17時56分37秒 61-24-157-140.rev.home.ne.jp  通報   返信・引用

寒さが肌をさす今日このごろでございますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
第15回目のゼミ報告をさせていただきます。

今回が大発表会前の最後のゼミとなりました。個人発表の芸術史と服飾を行いました。

個人テーマの芸術史では、アルトドルファーの聖フロリアヌスの連作について取り上げ、その中の《聖フロリアヌスの屍体の救出》に登場した石臼に焦点を当て議論しました。
「アルトドルファーは、≪聖フロリアヌスの屍体の救出≫に描かれる石臼を聖フロリアヌスの屍体を運んできたという聖書内で言及されていない彼の解釈のもと描いた」と主張しました。
安達先生からは、なぜ石臼が描かれなければならなかったのかというのはキリスト教においてとても重要な意味がある殉職に用いられたアイテムは聖人にとってキーアイテムであり、描かれないのはありえないというご意見をいただきました。
フロア側からは石臼に括りつけられる男=聖フロリアヌスのイメージがあるためここに出てくる屍体が聖フロリアヌスのものであるとわかるようにしたという反論や石臼に引っ張られているさまが描かれていたり、アトリビュートとして定着していれば石臼に特別な意味があるように思えるがここでは聖フロリアヌスとセットになっているから描いただけではないかという反論をいただきました。

評決の結果フロア側の勝利となりました。

宗教的な視点を持って、石臼を主語にするのではなく神の奇蹟によって起こったことを主張に含むべきだったというお話を伺ってその通りだったなと発表者としても反省しています。

個人テーマの服飾では、20世紀の服飾としてウィーン工房のデザインに焦点を当てて現代の服飾への影響を議論しました。
「ウィーン工房は、細やかな装飾にこだわり、機能性を重視したシンプルなデザインへの移行に遅れたが、その特徴的な幾何学模様とグラフィカルな色調は近年になって注目され、芸術を服飾に追求する感覚が現代の風潮に合ったことで当時のデザインが現代のデザインに生かされているのではないか」と主張しました。

安達先生からは“芸術は非大衆的である”という言葉があるがここでの芸術は流行と繋がりがあり大衆的であるように思われるがどういう意味か。ウィーン工房のデザインを取り入れているという証拠はあるのかなどのご指摘がありました。
フロア側からはウィーン工房のデザインが現代のデザインに直結しているわけではなく一部のデザイナーが一部のデザインのために取り上げただけではないかという反論や、そもそもウィーン工房はグスタフ・クリムトにはじまるウィーン分離派という芸術家集団から派生したものなので、工芸品に芸術性を求めるスタイルが「時代に取り残された」というのとは少し違うのではないかという意見が出ました。

評決の結果、フロア側の勝利となりました。

次回は大発表会ということで、もう四年生は最後の発表の機会となってしまいました。精一杯、最後まで頑張りたいと思います。

以上で今回のゼミ報告を終わります。



[73] 後期第14回ゼミ報告

投稿者: 加藤 投稿日:2018年 1月26日(金)16時32分39秒 116-65-209-109.rev.home.ne.jp  通報   返信・引用

先日は雪が降り、その後も寒さ厳しい日が続いておりますが皆様いかがお過ごしでしょうか。
後期第14回ゼミ報告をさせていただきます。書き込みが遅れましたこと、お詫び申し上げます。

今回は個人発表・音楽と個人発表・城を行いました。
まず個人発表・音楽では「モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』とウィーン①」というテーマでディベートしました。発表者は概要や演奏史をふまえ、この作品がウィーンの聴衆にとってどのような作品だったのかを考察し、
「プラハに比べ貴族社会の色濃かったウィーンでは初演時にはあまり好評ではなかった点から、ウィーンの聴衆にとっては『ドン・ジョヴァンニ』の内容に時代を先取りする要素が含まれていた」と主張しました。
これに対し、フロア側からは「時代を先取りする要素とは何か」との質問を多数受けました。この質問に、発表者は「貴族社会の色濃いウィーンで、貴族が没落していく様子を描いたオペラは受け入れがたかったのではないかと思い、時代を先取りする要素としてそれを挙げた」と回答しました。
評決をとり、この発表はフロア側の勝利に終わりました。

次に個人発表・城では「城の発展 日本と西洋の比較」というテーマでディベートしました。発表者は西洋と日本の城の歴史を比較し、城の発展について考察した上で、
「日本より西洋のほうが城の発展が早いという印象があった。その理由として城はその時代の需要に合わせて変化していくという特徴があるからである。日本よりも早くから長きにわたって国をめぐる戦いを繰り返し、異国・他民族との接触が多く、都市の発展も進んでいた西洋のほうが早かったのではないか。」と主張しました。
これに対しフロア側からは、
・形式の移行についてとして意見を述べると、初期に関しては西洋の方が発展していたと思うが、近世になると日本と西洋は異なった発展をそれぞれ遂げていると思った。
・文化や産業技術の発展などに大きな違いがある両者を同時代において比べるのは難しいと思った。
・紀元前のヨーロッパと縄文、弥生時代を比較すると西洋や中国が城としての発展は早かったと思うが、西洋は徐々に住居を城の中に構える点と日本の主に戦国時代など、武将の権力などを表すために城の天守閣などを立派にする点から、それぞれの発展の仕方は異なっているのではないか。
といった反論が出ました。
評決をとり、発表者の勝利に終わりました。

以上で報告とさせていただきます。



[72] 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます

投稿者: 大トトロ 投稿日:2018年 1月 1日(月)22時17分53秒 113x40x217x118.ap113.ftth.ucom.ne.jp  通報   返信・引用

★卒ゼミ生の皆様

◎早いもので干支が入れ替わり戌となりました。春には元号も代わることになり落ち着かない年になりそうな予感がしていますが、皆様にはお変わりなくご活躍のこととお慶び申し上げます。

◎4月からは8名の新ゼミ生が入って来る予定で、個人テーマもチームテーマも一新されます。また本年は2年に1度のゼミ同窓会の開催年でもありますので、また追ってご案内を差し上げることになるかと存じます。

★では本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。



[71] 第13回ゼミ報告

投稿者: 小川 投稿日:2017年12月24日(日)02時06分6秒 KD027092206237.ppp-bb.dion.ne.jp  通報   返信・引用

第13回ゼミ報告を致します。今回は個人テーマ絵画と企画テーマの発表を行いました。

個人テーマではルーベンスと弟子アントニー・ヴァン・ダイクの作品を比較した後、1609年の『聖母被昇天』について考察しました、主張と致しましては、「1609年の『聖母被昇天』はルーベンスとヴァン・ダイクの共同制作品である。彫刻的で力強いタッチのルーベンスと感傷的で繊細なタッチなヴァン・ダイク。師弟の結びつきが強くも、相反する画風を持った両者の性質が合わさることで、リアリティを引き立たせる相乗効果を得ているのではないか。」と主張しました。優れた画家の共作が必ず良い効果を生むとは限らず、個性が相殺されるとの意見が多く、根拠不足によりフロア側の勝利となりました。

企画テーマでは、映画『アマデウス』について個々に見所と此の映画のポイントを挙げ合いました。出たものを幾つか挙げると、最初の場面でのサリエリと神父の掛け合いで音楽について解説を交えているので、音楽に詳しくない人でも楽しめるという点や、ドン・ジョヴァンニの中で壁が崩壊するシーン。喜劇なオペラや重々しいオペラなど、時を経て変わる劇の性格。モーツアルトの死期の場面であると、モーツアルトのレクイエムの代筆時におけるサリエリの憎しみと愛情の葛藤と垣間見える悦び。又は、溢れるモーツアルトの音楽説明に「待ってくれ」と発言し書き連ねる点で両者の才能の距離の現れているのか、将又、瞬時に的確に理解出来るサリエリの才能であるのか。というものと、モーツアルトの埋葬の乱雑さ、粗雑さ。というものが挙げられました。然し一番のポイントとなるのは、サリエリは才能に恵まれない庶民の代表などではなく、庶民と王侯貴族の間で唯一人モーツアルトの才能と思考を理解出来る能力を与えられた一種の天才だと描いた所と、神に違った形で愛された自身の才能に気付かない所にある。という事でまとまりました。

以上、ゼミ報告を終わります。良いクリスマスをお過ごしください。



[70] 第12回ゼミ報告

投稿者: 長部 投稿日:2017年12月20日(水)09時09分26秒 sp49-98-210-254.msd.spmode.ne.jp  通報   返信・引用

書き込みが遅くなり、申し訳ありません。
第12回ゼミ報告です。

今回はチーム発表です。

はじめに祭りチームです。
キリストの降誕を祝うような形になったのはローマ帝国のキリスト教国強化であるが、なぜ教会がこの祝祭日を定めたか、定着していったのか要因を考え
主張「帝国側だけでなく教会側もが太陽崇拝の重要日である12月25日を利用して異教徒のキリスト教化をひきこみやすくしてキリスト教の立場を良くしようとした思惑があるのではないか。そして、ローマ帝国の統一への必要性と教会側の思惑に接点があり、定着した」という主張を立てました。

これに対し、冬の時期は作物も育たず不毛の時期から春の訪れを待ち人々の共通の思いが冬至祭であり、キリスト教化されたのち、クリスマスとなったのではないか。25日という区切りのよい日に設定したのではないか。
という意見が出ました。また、313年ごろすでに祝われていたか又は以前からかなどが出ました。

次に警察チーム
今回は、警察犬について取り上げ、今日本で課題となっているものについてどのようにしたらいいか考察し、

主張「日本の警察犬の出動要請は高齢化社会を背景として近年増加している。しかし、指導者不足に伴い警察犬の数が減少している課題がある。しかし、両者ともに育成と労力と費用がかかるため、解決に時間がかかる。
それを解決するため、「準警察犬」や「警察協力犬」の採用を拡大させる目的で、しつけ教室や訓練所などで適性を見て、専門的な訓練を受けさせた上で、基準をクリアした犬に証明書を発行し登録する。以上のような取り組みで、民間の人が協力する体制を整えることが重要である」という、主張を立てました。

これに対し、動物愛護の視点から犬がストレスを受けやすいのではないか。民間委託は難しいのではないか。IT技術の向上をすればよいのではないかなどが出ました。あと、資金問題についても出ました。

今回は、クリスマス近いということで祭りチームの勝利となりました。

さて、冬の到来といった感じの日々ですが、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。
こたつでのんびり本を読みたいのですが、最近はなかなか忙しくて手をつけられず、活字を求めている日々です。そこで、以前読んだ本をここで挙げますー!
畠中恵さんの「アイスクリン強し」
江戸から明治の移り変わりに築地の居留地でお菓子屋を営む青年、皆川真次郎を中心にあれやこれやと騒がしい日々を送るスイーツ物語です。
騒々しいけど、暖かな人たちの出てくる物語です。
オススメです~~!

それでは、また次回!!!



[69] 第11回ゼミ報告

投稿者: 高田 投稿日:2017年12月11日(月)12時20分6秒 203-165-65-180.rev.home.ne.jp  通報   返信・引用

OB・OGの皆さま、こんにちは。
遅くなってしまいましたが、12月9日に個人発表を2つ行いましたので
ご報告させていただきます。

まず服飾チームですが、グリム童話からみる服飾ということで
『赤ずきん』の「赤」が象徴しているものの考察でした。
主張は「グリム童話の赤ずきんの赤の象徴について、神への信仰の教えという宗教性と民話伝承が融合しているのではないか。」
反論として、
赤を身につけることは非常識なものを表しているということからまだ未熟な赤ずきんとリンクしているのではないか、宗教性や民話伝承だけでなく教訓や警告といった面も含まれているのではないか
といった意見が出ました。
フロア側の勝利となりましたが、フロア側だった私個人としてはもっと情報を集めて
議論を活発にできたら良かったと反省しております。

つぎは芸術史チームです。アルトドルファーの絵画から、彼が考える自然の本質とは何か
ということを議論しました。
主張は「≪聖ゲオルギウスのいる風景≫でのアルトドルファーの風景表現は接写的で微視的である。?その理由は、彼が鬱蒼としたドイツの原生林をメインとして、その中で、自然の本質は葉の一枚などのより小さい植物の活力に現れると考えたからである。」
反論として、自然の本質は森の「動き」で風の騒めきや太陽の光をも遮ってしまう程の存在感を示す、自然の現象や状態の「動き」も見る人に感じさせたいからなのではないか、
絵の光源による明暗で森に一体感が増し、葉の一枚一枚というより森という全体的な部分が本質なのではないか、
この鬱蒼とした森の背景が通常の視界で見える範囲よりはるかに高いところまで描いていると思ったため
カメラのない時代の絵に、カメラ的な視点を見出すという意味で言えばこの作品は接写的というよりも広角レンズで風景を切り取ったように見えると思った。その点から自然の本質とは葉の一枚いちまいというよりはそれが密に集まった木やまたそれがさらに集まった森なのではないか。
といった意見が出ました。
エネルギーの表し方は様々だが、アルトドルファーの表し方は一枚一枚丁寧に描くことである
ということで発表者側の勝利となりました。


以上で報告とさせていただきます。
寒さが本格的になってまいりました、ご自愛ください。


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